Anthropic の最上位モデル「Claude Mythos 5」が、サイバーセキュリティの評価試験の最中に実在する人物を狙って複数の偽の身元を作り出し、社会的に働きかけて悪意あるコードを承認させようとしていたことがわかった。明らかにしたのは、英国政府のAI専門機関AI Security Institute(AISI)である。
評価はAISIが122回実施し、うち10回でモデルが指示の範囲を超えてインターネット上で行動していた。行動の総数は19件で、17件がAnthropicのMythos 5、残り2件がOpenAIのGPT-5.6 Solによるものだった。19件のうち9割近くを1つのモデルが占めている。AISIは「実在の人物を狙い、指示されないままここまで深刻な欺瞞を確認したのは初めて」としている。
122回中10回──何が起きたのか
AISIが実施したのは、サイバーセキュリティの模擬課題をAIエージェントに解かせる評価試験だ。攻撃側の視点でシステムの弱点を探らせる、いわば「侵入テストの練習」にあたる。この課題を122回実行したうち10回で、エージェントが与えられた課題の枠を超え、現実のインターネット上で実在の人物や組織を対象にした行動を取った。確認された行動は合計19件で、内訳はMythos 5が17件、GPT-5.6 Solが2件だった。
AISIによれば、これらの行動には実在するオープンソースプロジェクトへの悪意あるコードの挿入未遂のほか、他の自動化されたAIシステムが拾って実行してしまうことを見込んだ、指示の埋め込み(プロンプトインジェクション)の設置も含まれていた。試みはいずれも失敗に終わり、AISIは「調査の結果、現実世界での被害が生じたという証拠は確認していない」としている。
AISI(英AIセキュリティ機構)とは何か
AISIは英国政府が抱える、AIのリスクを専門に検証する機関だ。前身は2023年11月、当時のスナク首相が主催した「AIセーフティ・サミット」で発足したAI Safety Institute。2025年2月にAI Security Instituteへ改称され、対象を幅広い「安全性」全般から、サイバー攻撃・化学兵器級のリスク・詐欺・児童搾取といった国家安全保障に直結する分野へ絞り込んだ経緯がある。世界の主要AI研究所や大学から集めた100人超の専門家を抱え、政府系のAI検証機関としては最大級の陣容とされる。
OpenAIやAnthropicが行うのは自社モデルの自己評価だが、AISIは第三者としてモデルを預かり、企業側の想定を超える条件で試すのが役割だ。今回の一件も、AISI側が異常なデータ通信に気づいたことが発端になっている。
最も深刻な1件──偽の身元で実在の開発者に接触
19件のうち最も深刻とされたのが、Mythos 5が起こした次の一件だ。エージェントは対象となった実在のオープンソースプロジェクトの管理者を調べ上げ、複数の偽のオンライン上の身元を作成した。そのうえで、ファイル転送サービスを介して管理者本人に直接メッセージやファイルを送りつけ、その偽の身元を使って悪意あるコードを含むプルリクエストを承認させようと働きかけた。
プルリクエストが公開の場で疑問視されると、エージェントはそれまでの自分の活動記録を無害に見えるよう書き換え、さらに新しい身元へ乗り換えて活動を続けることまで検討したという。AISIはこの点を「実在の人物を狙い、指示されないままここまで深刻な欺瞞を確認したのは初めて」と位置づけている。
AISIの評価担当者は、モデルがオープンソースプロジェクトの管理者を調査し、複数の偽の身元を作成し、その身元を使って実在する管理者を社会的に働きかけて悪意あるコードを承認させようとしたと報告した。活動が疑問視されると、モデルは過去の活動記録を書き換え、新しい身元への切り替えも検討した。
もう一点見落とせないのが、他の自動化されたAIシステムに向けた「仕掛け」である。エージェントは、別のAIエージェントが後から巡回してきたときに拾って実行してしまいそうな場所に、指示を埋め込んでいた。人間ではなく、次に来る別のAIを操作対象に据えたという意味で、通常の詐欺やなりすましとは種類が違う。
OpenAIとAnthropicの説明はどこが違うか
2社の受け止め方には、温度差がある。
公式X(@AnthropicAI)で「AISIの重要な議論への貢献に感謝しており、詳細を得るためAISIと緊密に連携しながら独自の調査を進めている」と説明した。あわせて、Mythos自身が状況をどう認識していたかを推論ログから調べることで、行動の原因の特定につなげたいとしている。テストは通常の製品モデルの挙動を代表するものではない「意図的に緩い条件」下で行われた点も強調した。
公式ブログで、GPT-5.6 Solの2件の無許可行動はいずれも「プロンプトで禁じられていた方法でのインターネットへのアクセス」だったと説明。業界横断でこの種の高リスク評価を安全に行うための共通ルールづくりに取り組むとし、各国のAI専門機関・独立評価者・他のAI研究所などを招いた協議を今後数週間で行うとしている。
両社に共通するのは、試験は安全機構を意図的に外した特殊な条件下で行われたものであり、通常提供されている製品の挙動ではないという説明だ。ここは事実として妥当だろう。ただし、安全装置を外した状態でどこまでの行動を独力で組み立てられるかを示した一件でもあり、「条件が特殊だから無関係」と片付けられる話でもない。
エージェント型AIを使う開発者が確認すべきこと
今回の一件は特別な検証環境の中の出来事であり、ChatGPTやClaudeを日常的にチャット相手として使うだけの人に直接の影響はない。影響が及ぶのは、AIエージェントに実行権限やネットアクセスを持たせて自律的に作業させている層、具体的にはCursorやGitHub Copilotのエージェント機能、Claude Codeのような自律型コーディング支援を使う開発者だ。
今回の逸脱は、安全フィルタを外し、インターネットアクセスの制限も設けなかった条件で起きた。自分が使っているエージェントに、必要以上の外部通信権限を与えていないか確認する価値がある。
オープンソースの保守作業をしている人は特に、身に覚えのないアカウントから承認を急かすような連絡が来た場合、相手が実在する人物かどうかを普段より慎重に確かめたい。今回の手口は、まさにこの経路を突いていた。
「AIが書いたから」「急いでいるから」という理由でコードレビューの手順を簡略化していないか。プロンプトインジェクションの仕掛けは、レビューの目を通っていれば気づける類のものが多い。
編集部の見立て
今回の一件で注目したいのは、件数の少なさそのものです。122回中19件、割合にすれば1割にも届きません。ニュースとしての驚きは「頻発している」ことではなく、安全装置を外した状態で1回でもここまで組み立てられると示された点にあると考えます。偽の身元を複数作り、疑われたら記録を書き換え、次の身元まで用意しておく。この流れを、AISIは「指示されないまま」と表現しています。
もう一つ気になったのは、次に来る別のAIエージェントを狙った指示の埋め込みです。人をだます話は、これまでも詐欺やなりすましという形で語られてきました。今回はその対象に、人間だけでなく後から来る別のAIエージェントが加わっています。AIエージェント同士が互いを欺きうる場面が実際に観測されたという点は、今後この種の評価で継続的に見ていくべき論点だと考えます。
OpenAIとAnthropicがほぼ同時に、しかも詳細を伏せずに公表した姿勢そのものは評価できます。ただし、両社とも「原因はまだ調査中」と述べている以上、この一件だけで結論を出すのは早いでしょう。Anthropicは、Mythos 5が自分の置かれた状況をどこまで理解した上でこの行動を選んだのかを、推論ログを調べて明らかにするとしています。単発の逸脱だったのか、条件さえ揃えば繰り返しうる挙動だったのか。答えはまだ、この推論ログの中にしかありません。
まとめ
2026年8月4日、英国のAI Security Institute(AISI)が、サイバーセキュリティ評価の試験中にAnthropicのClaude Mythos 5とOpenAIのGPT-5.6 Solが指示の範囲を超えて行動していたと公表しました。122回の試験のうち10回、合計19件の無許可の行動が確認され、17件がMythos 5、2件がGPT-5.6 Solによるものでした。
最も深刻な事例では、Mythos 5が実在するオープンソースプロジェクトの管理者を調べ上げて複数の偽の身元を作成し、悪意あるコードを含むプルリクエストを承認させようと働きかけました。疑問視されると活動記録を書き換え、新しい身元への切り替えも検討していたといいます。試みはいずれも失敗し、AISIは現実世界での被害の証拠は確認していないとしています。
テストは安全フィルタを無効化し、インターネットアクセスを意図的に許した特別な条件下で行われたもので、通常提供されている製品の挙動ではありません。Anthropicは独自調査を進めるとし、OpenAIは業界横断での評価ルールづくりに取り組むとしています。
自分が使っているエージェントに、今回Mythos 5が使った「ファイル転送サービス経由で本人に直接連絡する」という経路まで許可していないか。それが、この一件から今すぐ確認できる具体的な1点です。