ChatGPTを使って書かれた「専門家の論考」の94%が、実は盗用だった。OpenAIが2026年8月25日に公開した報告書は、ロシアを発信源とするアカウント群が実在しない研究機関を装い、他人の論文をChatGPTで書き直して発信していた実態を明らかにした。
その名は「国際バーク研究所(International Burke Institute、IBI)」。イスラエルを拠点とする"専門家コミュニティ"を自称し、著名な研究者が寄稿しているかのような体裁のウェブサイトを構えていた。だが中身を調べたOpenAIが見つけたのは、実在の学者の論文を無断で使い回し、まったく無関係な人物の名前を著者として貼り付けるという、地道な偽装作業の跡だった。
OpenAIが同種のロシア発の工作を公表するのは、これで少なくとも4件目になる。摘発の手口自体は年々巧妙になっているようには見えない。むしろ、なぜ同じ国から同じような工作が繰り返し出てくるのか、そちらのほうが気にかかる。
36本中34本が盗用──何が報じられたのか
OpenAIの報告書によれば、同社はロシアを発信源とするアカウント群を特定し、利用を停止した。OpenAIはロシアからの直接アクセスを認めていないため、運営者はVPNを経由してChatGPTにアクセスしていたという。
このアカウント群が支えていたのが、「国際バーク研究所」という名の"シンクタンク"だった。OpenAIが2025年9月から2026年5月にかけて公開された論考36本を調べたところ、34本、実に94%が他所からの転用・盗用だったことがわかった。著者名も、実際に書いた本人とはまったく別の人物に差し替えられていた例が複数見つかっている。
「国際バーク研究所」とは何か──偽の権威はこう作られた
「国際バーク研究所」は、自らをイスラエル拠点の"専門家コミュニティ"と説明していた。盗用の手口は、単純な丸写しにとどまらない。OpenAIが挙げた例のひとつでは、中国・パキスタン経済回廊を扱う論文が2025年7月7日にケンブリッジ大学出版局から刊行されていた(著者はブラッドフォード大学名誉教授のユナス・サマド氏)。ところがIBIのサイトには2025年12月28日、まったく同じ内容がノッティンガム大学のキャサリン・アドニー氏の論考として掲載されていた。
別の例では、移民政策を専門とするシンクタンク「Migration Policy Institute」が2025年4月に発表した論考(著者3名)が、オーストラリアの食品化学の教授の名前で公開されていた。原著者の一人「ケイト・フーパー氏」と、貼り替え先の「ケイト・ハウエル氏」は、綴りも響きも近い別人である。著名な政治学者フランシス・フクヤマ氏や言語学者ノーム・チョムスキー氏の名前が、書いてもいない論考の著者として使われた例もあったという。
サイトの目玉は、各国の"主権"を採点したという独自指数だった。ロシアを高く評価し、フランス・ドイツ・米国など西側諸国を低く評価する内容で、体裁だけは学術的な指数に整えられていた。
無名の団体が主張しても説得力がない。だから既存の論文を、無関係な学者や著名人の名前で貼り替えた。読者が疑うとすれば「この論考は本物か」であって、「著者は本当にこの人か」までは疑わない。
ケイト・フーパー氏とケイト・ハウエル氏のように、綴りの近い別人へ差し替える例もあった。ざっと検索しただけでは、同姓同名の実在の研究者に見えてしまう。
なぜロシア発だと見抜けたのか
OpenAIが手がかりにしたのは、アカウントとChatGPTのやり取りそのものだった。運営者はロシア語でChatGPTに指示を出し、英語やドイツ語の文章を生成させていた。その際、「ロシア語話者だとわかる痕跡を消すように」と繰り返し指示していたことも、ログから確認されている。
それでも、痕跡は完全には消えなかった。ドイツの政治について書かせた文章の中に、社会民主党・自由民主党・緑の党による連立を指す言葉として「スヴェトフォル連立」という表現が残っていた。これはスラブ語圏で信号機を意味する語で、ドイツ語圏で実際に使われる「信号連立(Ampelkoalition)」や英語の「traffic-light coalition」には出てこない言い回しだ。翻訳が甘かったこの一語が、書き手がスラブ語話者であることを示す痕跡として残っていた。
これで4件目──OpenAIが摘発してきたロシア発工作
今回の「国際バーク研究所」は、OpenAIが公表したロシア発の工作としては初めてではない。過去2年余りで、少なくとも4件が明らかになっている。
「Bad Grammar」を摘発 ロシア・ウクライナ・モルドバ・バルト三国を対象に、Telegram向けの政治コメントを生成していたネットワーク。
「Helgoland Bite作戦」を摘発 ドイツ連邦議会選挙を前に、米国・NATOを批判し極右政党AfDを後押しするドイツ語コンテンツを生成。Telegramチャンネルとフォロワー約2万7,000人のXアカウントで拡散していた。
「Fish Food」を摘発 ロシアの国営メディアに近いRybarネットワーク関連とみられるアカウントが、アフリカ向け世論工作の企画書をChatGPTに作らせていた。想定年間予算最大60万ドルと記された提案書も含まれていた。
「国際バーク研究所」を摘発 実在しない"シンクタンク"を名乗り、盗用した論文を著名学者の名前で発信していた今回のケース。
並べてみると、手口は毎回変わっていることがわかる。Telegramへの直接投稿から、既存政党への肩入れ、他組織向けの企画書作成、そして今回の偽シンクタンクの運営へ。ChatGPTにやらせる作業の種類が、そのつど違う形に姿を変えている。
摘発できても、拡散は止められない
OpenAIは今回の工作の深刻度を、非営利団体ブルッキングス研究所が定めた「ブレイクアウト・スケール」という6段階の指標で評価し、下から3番目の水準の中でも下寄りに位置づけた。複数のプラットフォームに拡散し、実際のユーザーに一部届いた形跡はあるものの、爆発的に広がった段階ではない、という評価である。
実際の数字を見ても、規模は大きくない。関連するTelegramチャンネルのフォロワー数は、それぞれ1万人から2万人程度。個々の投稿の閲覧数も少なかったとOpenAIは説明している。だが、これは実害がなかったことを意味しない。今回で少なくとも4件目が見つかったという事実のほうが、規模の小ささよりも重い。摘発できているのは、たまたま見つかった分だけである可能性が残る。
もう一点、ChatGPTを含む生成AIそのものが、こうした偽装の片棒を担がされている構図も見ておきたい。OpenAIは今年に入ってからも、未公開モデルが評価環境から抜け出した事件や、利用者情報の外部送信を巡る訴訟など、安全性や信頼性に関わる出来事が続いている。今回のケースはAIそのものの欠陥ではなく人間側の悪用だが、読者が向き合う「AIの出力をどこまで信じるか」という問いは、原因が技術的な事故でも意図的な悪用でも変わらない。
編集部の見立て
今回の件でもっとも印象に残るのは、盗用の手口が驚くほど地道だったという点です。派手な捏造ではなく、既存の論文の著者名を静かに貼り替えるという、時間のかかる作業をひたすら積み重ねていました。AIが執筆の手間を減らしてくれることが、こうした偽装にかかる労力そのものを下げてしまう場面があるのだと、あらためて感じます。
もうひとつ気になるのは、摘発の起点が「生成された文章の中身」ではなく「指示に使われた言葉」だったことです。読者からは絶対に見えない場所に、いちばんはっきりした証拠が残っていました。逆に言えば、この手がかりを消せるほど注意深い運営者であれば、同じ手口はもっと長く発覚しなかったかもしれません。
読者の皆様に持ち帰っていただきたいのは、AI各社の摘発体制を信頼しきることでも、逆に何もかも疑うことでもありません。見慣れない専門機関の名前が出てきたときに、著者名を一度検索してみる。その一手間だけで、今回のような事例のかなりの部分は見抜けます。AIが文章を書く時代だからこそ、書いた本人を確かめる手間の価値は上がっています。
OpenAIがこれを自ら公表したことも、素直に評価してよいと考えます。ただし、これが4件目だという事実は、摘発の仕組みが機能している証拠であると同時に、同じ手口が繰り返し試されているという証拠でもあります。次に見つかるのが5件目なのか、それとも見つかっていない工作がすでに走っているのか、今の私たちには判断がつきません。
まとめ
OpenAIは2026年8月25日、ロシアを発信源とするアカウント群を摘発したと公表しました。運営者はVPNでアクセス制限を回避し、ChatGPTを使って偽のシンクタンク「国際バーク研究所」の論考を量産していました。
調査対象となった論考36本のうち34本、94%が他所からの盗用・転用で、著者名も無関係の学者や著名人に差し替えられていました。ケンブリッジ大学出版局の論文がノッティンガム大学の別の研究者名義に、Migration Policy Instituteの論考が綴りの近い別人(オーストラリアの食品化学教授)の名義に、それぞれ貼り替えられていた例が確認されています。
OpenAIがロシア発の工作を公表するのは、2024年5月の「Bad Grammar」、2025年6月の「Helgoland Bite作戦」、2026年2月の「Fish Food」に続き、少なくとも4件目です。今回の拡散規模はブルッキングス研究所の指標で6段階中3の下寄りにとどまり、関連Telegramチャンネルのフォロワーも1万〜2万人規模でした。
読者にとっての手がかりはシンプルです。見慣れない研究機関の名前を見かけたら、著者名をそのまま検索エンジンに入れてみてください。所属先や他媒体との内容が一致しないなら、その"専門家"は疑ってよい兆候です。
OpenAIが今回のケースに辿り着けたのは、投稿された文章ではなく、指示に使われた言葉に残っていた、スラブ語話者だけが書ける言い回しのおかげだった。次に同じ痕跡が残るとは限らない。