米The Informationが9月3日、元OpenAI最高技術責任者のミラ・ムラティ氏が率いるAI研究所Thinking Machines Labが、10億ドルの資金調達を交渉中だと報じた。伝えられた評価額は400億ドル以上。既存株主のベンチャーキャピタルAccelが主導する方向で話が進んでいるという。

金額だけなら、この夏に何度も流れた調達話の一つに見える。目を引くのは、同じ報道に並んでいるもう一つの数字のほうだ。この研究所の年換算売上は1億ドル超と伝えられている。額面どおりに受け取るなら、評価額は売上の約400倍にあたる。売上を「少なくとも数億ドル規模」と伝える報道もあり、仮に3億ドルで計算しても約133倍になる。

同じ週、AIコーディングのCognitionが470億ドルの評価額で約10億ドルを調達する見通しだとブルームバーグが報じた。こちらの年換算売上は9億ドル超で、倍率は約52倍になる。調達額はほぼ同じ、評価額も近い。違うのは値札の下にある売上の桁だけである。

⚠ 情報の鮮度について
一次情報は The Information が2026年9月3日(米国時間)に報じた記事と、同日のTechCrunchによる後追い報道です。本記事の公開時点で、およそ1日半(32〜44時間)が経過しています。両社の調達はいずれも交渉中と報じられた段階で、調達額・評価額・出資者のいずれも確定していません。売上の数値も関係者の話として伝えられたもので、各社が公表した数字ではありません。

何が報じられたのか

Thinking Machines Labは、OpenAIで最高技術責任者を務めたミラ・ムラティ氏が2025年2月に設立したAI研究所である。2025年7月に20億ドルという異例の規模のシード調達を実施し、そのときの評価額は120億ドルだった。今回報じられた400億ドルは、そこから約3.3倍の水準になる。

報道の中身を、確定している部分と交渉中の部分に分けて並べておく。

項目 報じられた内容 確度
調達額 約10億ドル 交渉中
評価額 400億ドル以上 交渉中
主導する投資家 既存株主のAccel 交渉中
そのほかの出資者 NVIDIAが参加を協議 交渉中
年換算売上 1億ドル超(別の報道では「数億ドル規模」) 関係者の話
直近で確定した評価額 120億ドル(2025年7月・20億ドルのシード調達後) 確定済み
400億ドル 交渉中と報じられた評価額
1億ドル超 伝えられた年換算売上
約3.3倍 120億ドルから400億ドルへの伸び
一言でまとめると──製品の売上ではなく、研究チームそのものに値札が付いた調達交渉です。同じ週に報じられたCognitionの470億ドルは年換算売上9億ドル超に対する値札ですが、Thinking Machinesの400億ドルは、その9分の1にも満たない売上に対して提示されています。

評価額は年換算売上の何倍か

投資家がスタートアップに払う金額を測るとき、いちばん手軽な物差しが年換算売上の何倍かという数字だ。直近の売上ペースが1年続いたと仮定した金額(ランレート)で評価額を割る。倍率が高いほど、いまの売上ではなく将来への期待に払っていることになる。

ⓘ 年換算売上(ランレート)とは
直近の月の売上を12倍した、いわば「この調子が1年続いたら」の見込み額です。実際に1年でその金額が入った実績ではありません。急成長中の会社ほど実績より大きく出る指標なので、報道で見かけたときは実績ではなく現在のペースを指していると読んでください。
評価額が年換算売上の何倍にあたるかを3社で比較した横棒グラフ。Thinking Machinesは売上1億ドルで計算すると約400倍、売上3億ドルで計算しても約133倍。Cognitionは470億ドルを売上9億ドルで割って約52倍、Anthropicは上場時に想定される2兆ドルを売上650億ドルで割って約31倍。バーの長さは倍率に比例している。

Thinking Machinesの倍率には幅がある。The Informationは年換算売上を1億ドル超と伝え、この数字で割ると約400倍になる。一方、同じ調達を報じた別の記事は「少なくとも数億ドル規模の年換算売上」としており、仮に3億ドルなら400億ドルは約133倍だ。どちらの読み方を採っても、Cognitionの約52倍やAnthropicの約31倍とは桁が違う。

比較のために置いたAnthropicの数字も、実は控えめではない。上場時の評価額を2兆ドル以上と見る投資家の見立てを、年換算売上650億ドルで割った値が約31倍である。史上最大規模と言われる上場の期待値ですら、この水準に収まる。Thinking Machinesの値札は、そこからさらに一段上を行くことになる。

倍率が高いこと自体は珍しくない。売上がまだ小さい段階の会社では、分母が小さいぶん倍率はいくらでも跳ね上がる。問題は、この会社がすでに1年以上プロダクトを売っているという点にある。無収益の研究段階ではなく、値札の付いた製品を出したうえでこの倍率が付いている。

Thinking Machinesとは何を売っている会社か

名前は知られていても、何を売っているかまで知られている会社ではない。製品は現在2つある。

01
Tinker──自分のデータでモデルを仕込む道具

オープンなAIモデルを、自社のデータで微調整(ファインチューニング)するための開発者向けAPI。GPUの調達や分散学習の面倒を同社が引き受け、利用者は学習の中身だけを書く。課金はトークン量に応じた従量制で、2025年12月に正式提供が始まった。QwenやDeepSeek、NVIDIA Nemotron、GPT-OSSなど、他社のオープンモデルにも対応する。

02
Inkling──重みを配ってしまうモデル

2026年7月15日に公開した自社製のオープンウェイトモデル。総パラメータ9,750億・推論時に働くのは410億という混合エキスパート型で、ライセンスはApache 2.0。つまりモデル本体は無料で配られている。軽量版のInkling-Smallも同時にプレビューとして公表され、重みの公開は後日とされた。

この2つを並べると、商売の形が見えてくる。ChatGPTClaudeGeminiが売っているのは「賢いモデルを呼び出す権利」で、モデルの中身は外に出ない。Thinking Machinesはその逆で、モデルは配ってしまい、それを自分用に仕立て直す工程で課金する

💡 ファインチューニングという言葉が指すもの
すでに学習を終えたモデルに、自分たちの文書や対話の例を追加で学ばせて、癖を自社向けに寄せる作業のことです。プロンプトで毎回指示を書き足すのに比べると、同じ指示を毎回送らずに済むぶん処理が短くなり、社内用語や書式のような「説明しにくい決まりごと」を守らせやすくなります。その代わり、データを揃える手間と、学習そのものの費用がかかります。

400億ドルという値札は、この2製品の売上に付いているというより、売上の外にあるものに付いている。ムラティ氏を含む研究者の集団と、そこから将来出てくるはずのモデルへの期待である。

500億ドルから400億ドルへ、下がった値札

もう一つ、今回の報道には見落としやすい点がある。400億ドルは、この会社がかつて目指した金額より低い。同社は2025年終盤に500億ドルを超える評価額での調達を模索したと報じられていたが、その水準では成立しなかった。今回の交渉は、そこから1段下がった位置で始まっている。

1年で120億ドルから400億ドルへ上がったという見方と、目指した500億ドル超には届かなかったという見方は、どちらも同じ事実の裏表だ。資金は集まるが、言い値では集まらない。AIラボへの出資が青天井ではなくなりつつある兆候として読める。

2025.02

Thinking Machines Labを設立OpenAIで最高技術責任者を務めたミラ・ムラティ氏が、元同僚らとともに立ち上げた。

2025.07

20億ドルのシード調達、評価額120億ドルAndreessen Horowitzが主導し、NVIDIAやAccelも参加した。シード段階としては異例の規模だった。

2025年終盤

500億ドル超での調達を模索するが成立せずこの水準での資金調達は実現しなかったと報じられている。

2026.07.15

オープンウェイトモデルInklingを公開総パラメータ9,750億の混合エキスパート型モデルを、Apache 2.0ライセンスで配布した。

2026.09.03

評価額400億ドル以上での調達交渉が報じられるAccelが主導する方向で、調達額は約10億ドルとされる。いずれも交渉中の段階。

人の出入りも穏やかではない。創業時に名を連ねた共同創業者6人のうち、すでに4人が会社を離れたと報じられている。直近では2026年7月、共同創業者のリリアン・ウェン氏が健康上の理由で退任し、その後OpenAIに戻ったことをTechCrunchが伝えた。創業から1年半で創業メンバーの3分の2が入れ替わった計算になる。

研究チームそのものに値札が付いているのだとすれば、そのチームの構成が変わることは、値札の根拠が動くことを意味する。400億ドルという数字を読むときは、この人の流れも一緒に見ておきたい。

ChatGPTやClaudeを使う人に、この値札は何を意味するか

投資の話は、AIを使う側には遠く聞こえる。それでも今回の一件には、日々の道具選びに直結する部分が3つある。

A
いまの料金は投資マネーに支えられている

売上の100倍を超える評価で資金が入るあいだは、各社は利用者から回収しきれない価格でも提供を続けられる。裏を返せば、いま払っている月額やトークン単価は、資金調達の環境が変われば動きうるということでもある。安さの理由が調達にあるのか原価にあるのかは、区別しておく価値がある。

B
「借りる」以外の道に金が集まっている

TinkerとInklingが売っているのは、大手のAPIを毎月借り続ける以外の選択肢だ。オープンなモデルを自前で仕立てる道に400億ドルの値札が付いたということは、その道を選ぶ企業がこれから増えると投資家が見ていることになる。

C
供給元は入れ替わる前提で組む

共同創業者6人のうち4人が離れた会社に、400億ドルの評価が付く。それがいまのAI業界の速さである。1社のモデルに深く結び付いた作り方をしていると、その1社の事情がそのまま自分の事情になる

ではどう動くか。判断の分かれ目は、自分の使い方が「毎回違う判断を任せる仕事」なのか「決まった処理を大量に流す仕事」なのかという一点にある。前者はフロンティアモデルを借り続けるほうが結局は安い。後者は、オープンモデルを自分のデータで仕込むほうが単価で有利になる場面が出てきている。

⚠ 微調整に移す前に見ておくこと
ファインチューニングは万能の値下げ手段ではありません。学習用のデータを揃える工数、学習そのものの費用、そして仕込んだモデルを動かし続ける手間が新たに発生します。移して得になるのは、同じ形式の処理を毎月まとまった量で流していて、出力の良し悪しを自分たちで判定できる仕事です。月に数百回程度の利用であれば、既存のAPIやサブスクリプションのままで構いません。

もう一点、当面の確認先を挙げておく。この調達は交渉中の段階であり、成立するかどうか、そしてNVIDIAが実際に出資者として入るかどうかは、まだ決まっていない。NVIDIAがPerplexityへの出資を交渉していると報じられた8月の一件と同じく、チップを売る側がAIサービス側の株主になる形が続くのかどうかが、次に見える論点になる。

編集部の見立て

Editor's Opinion

今回の報道でいちばん情報量が多いのは、400億ドルという金額そのものではなく、同じ週に並んだ2つの倍率の差だと考えています。売上9億ドル超のCognitionに約52倍、売上1億ドル超のThinking Machinesに約400倍。投資家は、片方には積み上がった売上に、もう片方にはまだ形になっていないものに払おうとしています。

そのうえで、Thinking Machinesが売っている中身には注目しています。自社のモデルの重みを無料で配り、それを各社が自分用に仕立てる工程で課金するという形は、大手のAPIとは方向が違います。使う側から見れば、月額を払い続ける道の隣に、もう一本の道が整備されつつあるということです。この道が太くなれば、借りる側の価格交渉力も変わってきます。

いっぽうで、共同創業者6人のうち4人が離れたという事実は、軽く扱えないと感じています。研究者の集団に値札が付いている以上、集団の中身が変わることは値札の根拠が変わることに近いためです。500億ドル超では成立せず400億ドルで交渉が進んでいるという経緯も、投資家がそこを見ていないわけではないことを示しているように読めます。

読者の立場で言えば、いま自分が払っている料金のうち、どこまでが提供コストに見合っていて、どこからが投資マネーの補助なのか——その区別を頭の片隅に置いておくと、次に価格表が動いたときの受け止め方が変わります。100倍を超える倍率で資金が入る市場では、値札は原価より先に、資金の出入りのほうに反応します。

まとめ

2026年9月3日、The Informationが、ミラ・ムラティ氏のThinking Machines Labが評価額400億ドル以上で約10億ドルを調達する交渉に入っていると報じました。主導するのは既存株主のAccelで、NVIDIAも参加を協議していると伝えられています。いずれも交渉中の段階で、確定した金額ではありません。

伝えられた年換算売上は1億ドル超で、額面どおりなら評価額は売上の約400倍にあたります。別の報道が伝える「数億ドル規模」を採って3億ドルで計算しても、400億ドルは約133倍です。同じ週に470億ドルでの調達が報じられたCognitionは、年換算売上9億ドル超に対して約52倍でした。

Thinking Machinesの製品は、オープンモデルを自社データで微調整するAPI「Tinker」と、無料で重みを配るモデル「Inkling」の2つです。大手のAPIを借り続けるのとは別の道に、大きな資金が向かっていることになります。

なお、同社が2025年終盤に模索した500億ドル超では調達が成立しておらず、共同創業者6人のうち4人がすでに退社したと報じられています。値札は上がりましたが、言い値のままではありませんでした。

同じ週に、年換算売上9億ドル超の会社に470億ドル、年換算売上1億ドル超の研究所に400億ドル。2つの値札の差は70億ドルしかない。売上の桁が違っても値段がほとんど並ぶという事実そのものが、いまAIに投じられている金額の性質を言い当てている。